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テレマークスキーの語り部 北田啓郎逝く

2022年01月29日(土)

北田さんの訃報を聞き深い悲しみと第一世代のテレマークの語り部がまた去ってしまったことに心痛む想いです。
北田さんはそのお人柄とともにとても文才のある方で当時のTAJの会報の奥深い語りはとても楽しみでした。
その中でも1994年の「テレマークは武士道でありえるか」は現代のテレマークスキーの根源に意味するものかと思い、ずっと思い悩んでいましたがこれが最後の機会かと思いupさせていただきました。
是非ご一読いただければと思います。
テレマークは武士道でありえるか
頭の中に閉塞前線が停滞している。自分の思い描いていたテレマークの世界と現状が少しずつずれていることが原因のひとつだ。
世界的にも日本国内においてもテレマークの流れはずいぶんと太くなってきているのだが、途中途中でいろいろな不純物が入り込み、水の色が源流の透明度を失っているような気がするのだ。
現代のテレマーカーは美味しい源流の水を知らず、はじめからビタミン剤や砂糖など栄養いっぱいのドリンク剤やジュースを飲んでいるんではないだろうか。
少し以前から、モダンテレマークの源流は武士道みたいなものではないか、と思っている。もっとも武士道の本質を研究したわけではなく、子供の頃から何となく身の回りに脈々と流れている日本人の美意識としての武士道である。人の手と同化できるほどいっさいの不純な形態を取り払った刀のみで一対一の勝負をする、清く男らしいではないか。この場面でもし片方が懐から飛び道具、つまりピストルかマシンガンなどをやおら出して、「ふあふあふあっ、馬鹿め百年遅いぜ、ズドン」となったら、武士道もへったくれもない。日本人なら誰でも理解できることだ。
科学一辺倒で、効率性最優先でここまで一見豊かになってきた世界だが、その結果が戦う武器で言えば原子爆弾などという、自らの世界を消滅させるとんでもない切り札までとうとう作ってしまった。作ってしまうまでは仕方がないとして、それを使えば自分たちの世界がなくなってしまうことがわかっていながら、いまだその効率性の幻影にとりつかれたまましがみついている。前のものを科学技術の力で伝えることがたとえなんであっても、人類の進歩発展だと思っている人が圧倒的多数いるらしいこの世界は、ほんとうにオメデタイ。人類が生存することを含めて科学や宇宙には本来的にバランスを保ってきたルールがあると思うが、人間が考え出した科学技術だけはこのルールの外に置かれ、それを無視している。
論理論理と、事あるごとに都合よく飛びかう言葉の何とむなしい響きであることか。そんなに論理を重んじる人類なら、自分たちの世界を消滅させる最終殺戮爆弾をこそこそ抜け駆けして作ったりすることにこそ本当の論理を使ってよと思ってしまう。
話はテレマークと武士道と武士道の関係であった。
ところでこんな世界状況だからこそ、僕は本来あった武士道的なものにテレマークを結び付けておきたい、と思う。20年前のコロラドで、ヨーロッパアルプスからの借り物でしかないアルペンスキーの不自由さを捨て、自然とより直接的に接することのできるスタイルとして、素朴なノルディックスタイルを山に持ち込んだ。そこでアメリカ人らしい自由な発想で、自分たちのふるさとの山コロラドロッキーにもっとも違和感のない新たなスキースタイルを生み出した。
これがモダンテレマークの源流である。
用具が素朴であったからこそ、かれらは技を生み出すことに熱中し、それをものにした。テレマークの用具の進化が一見非常に遅く感じる理由は、いったんバランスの崩れたスキースタイルを思い切って捨てることにより手に入れることのできたテレマークの本質的なおもしろさをしっかりと踏まえたうえで、自分にあった形で進化させる努力をしたからなのである。
テレマーク用具に飛躍的な変化をもたらしたのは、アルペンスキーの場合と同じように、ダウンヒルレースによるところが大である。習得した技を証明するために競争をすることは人の本性である。そのために目的に沿った用具を作り、より高いレベルで競争することも当然の方向であろう。
技術のあるものにとってレースは楽しいし、そのこと自体はテレマークにとってけしてマイナスではない。進化の方法は多様であるべきなのだ。
しかしである、この進化の方法がその本来創りあげてゆくべき世界を壊す方向への動きに変質しはじめたとき、進化を支えてきた用具はいつかわが身を滅ぼす麻薬となる。
テレマークが20数年かけて発展してきた過程が、なにか世界戦略の馬鹿げた発展過程に似ているように思えて、今僕の頭の中は複雑な気持ちだ。しょせん人間のやることはどのレベルにおいても同じような結末になるのか、とため息が出てしまうのである。
何の事を言っているのか想像できない人のために説明しておくと、ここ2,3年の間に特に目立ってきたテレマーク用具のアルペン追従かまっしぐらの傾向のことである。
日本に伝来したころのあの繊細にして優美なスキニースキーは、どこか日本の名刀とあい通ずるものがあると思いませんか。それに反して最近ちらはら見かけるようになったあの幅広いスキーには、研ぎ澄まされ、しかるべき道を究めるテレマーク道の思想が感じられないではありませんか。スピードを出したとき安定して楽であるとか、深雪で浮きやすいなどと一面真理のような理由はつくが、じゃああんたはテレマークではなく、アルペンスキーをしたほうがよいのでは、と言いたくなる。
それならばいっそのこと踵を止めたアルペンスキーのほうがはるかに安定性が高いし、はるかに細かく回れるし、深雪だってもっと浮く。あなたは無駄な労力を使っている。テレマークのような回り道をしないで、最初からアルペンをすればよかったのに、と同情する。
たとえ少し速く滑ることができても、2,3回細かく回転することができても、あるいは頼り少し転ぶ回数が減ったとしても、それは用具によって量的安定を得ただけである。テレマークの質が上がったわけではない。ルールあるスポーツの世界を見れば似たような例はいくらでも想像できる。たとえばプロ野球で、あまりホームランを打てない非力なバッターが金属バットを使って場外ホームランを連発したと仮定しよう。この場合そのバッターの技術や力が量的に向上したことではないことは言うまでもない。繰り返して言うが、現在ではテレマークの内容がバックカントリーツアーという本来育ってきた環境以外に、レース、ゲレンデ遊び、深雪ダウンヒルなど多線化している。それぞれが独自の用具に支えられ、独自のスタイルとしてレベルの高い楽しみ方を持つことは、自然の流れとして止めようがない。しかしテレマーク本来が持っている貴重な感性の楽しみをはじめから味わうことなく、ただただ妄信的にアルペン的な合理主義を追従してゆく遅れてきたテレマーカーたちに、僕としては何とか20数年前のコロラドの源流の透明な流れを伝えたいのだ。
コロラドでは2回ツアーを共にしたガイドのダン・シェフチェックは、アゾロのエクストリームよりさらに2センチも浅いメレルのツーリングブーツを山もゲレンデも区別なく使いこなしている。そのメレルは、コバとつま先の境目が一度パックリと口を開けたものを、大枚100何十ドルかかけ当て草をつけて修理した状態であるから、その芯や箪のよれよれ度はスキー靴というより20年くらい使い込んだ登山靴のようである。
ダンの滑りはとても滑らかである。無駄な動きがない。
スタンスは前後左右とも狭く、2本のスキーを常に腰の下で、まるで1本のスキーに乗っているように自分のコントロール下においている。小さいリズムですべるときも、大きなリズムですべるときもスキーを無理にずらすような操作はせず、常に自分で考える理想、の弧を描くためのスキーコントロールを続けているのだ。ダンのシュプールは細く、左右がそろい、弧と弧の間に直線はない。
ダンの滑りには、人間とテレマークブーツとスキーとのきわめて密度の高い一体感が表現されていると思う。
一体感と一言ですませば、僕ら凡才でも言葉の上では、ああなるほどと相槌くらいはうてるのだが、その境地に至るまでの道程は相当遠く長い。まして、日頃バックル付のハイバックブーツとワイドスキーの安定性にドップリとつかっている現代テレマーカーは、知ることのできない境地であると思う。靴の硬さやスキーの安定性といった、言わば力学の量で、問題を解決しようとする西洋的な科学:合理主義と対極のところにある。彼の求めるものは量によってではなく、質によって得ることのできるものである。
そして、まさにこれこそが、僕たちが10数年前素朴なテレマーク用具をはいて垣間見たテレマークの本質だったのではないか。
ダン・シェフチェックはテレマークの世界において、我々日本人の祖先がつきつめた武士道精神を体現している。目的遂行のためには手段を選ばない強引なパイオニアロードを進むアメリカの国民性の中に、その対極にある武士道の方法論を持って自然と自分の関係を追い求める人間がいて、そいつがテレマーカーであるという事実が僕をコロラドへ駆り立てる。
武士道はやがて最終殺戮兵器の圧倒的力の前に消滅、あるいは地下に埋没してしまうのが歴史の力学である。
テレマークもまた歴史と同じ力学で消滅の過程を進むのだろうか。結果はどうであれ、テレマーカーの一人一人が個人レベルで武士道を追求することはできる。そのことは自由である。僕は僕で、今年もまた10thマウンテンの雪の中へ出かけ、ダンのシュプールの極意を見つけ出したいと思う。
平成6年11月1日
*会報をワードで打ち直したものなので誤字脱字等があればご容赦ください。
著作権に触れるようであれば即削

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